政教分離の土台となる諸思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)
「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「政教分離の土台となる諸思想」の解説
近代科学と近代哲学が興起して以来、啓蒙主義の思潮が全ヨーロッパ的に拡大していったが、啓蒙主義者たちは概して自身を、自身の教派や民族・言語上の差異や帰属国家を超えた存在、すなわちコスモポリタンであるとみなし、想像上の共同体である「文芸共和国(レピュブリック・デ・レトル)」の一員であると信じていた。その権威は現実の社会的身分よりも学問的貢献や識見の高さによって判断されたので、当時のメディアをよく利用して自身の見解や議論を活発に発信した。とくに17世紀後半から18世紀前半にかけてその役割を担ったのは、オランダ共和国を起点として全ヨーロッパに広がった通信・定期刊行物・書籍のネットワーク網であった。オランダが一大中心となったのは、上述のとおり宗教的多元性と宗教的寛容という条件が存在していたためであるが、1680年代のプロテスタント迫害がもたらした「ユグノー・ディアスポラ」の結果でもあった。 18世紀中葉には、ヨーロッパの出版界はいっそう多極的となり、オランダの影響力は相対的に低下した。啓蒙主義の旺盛な知識探究の精神は、新大陸やアジアからもたらされた情報にも向けられ、ヨーロッパ諸都市を網の目のように結ぶサロンやクラブ、コーヒーハウス、アカデミー、ルナー協会をはじめとする公益協会、フリーメイソンの会所(ロッジ)などを介し、公共圏を拡大させていった。
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