撮影までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:36 UTC 版)
1960年3月4日にキューバ・ハバナ港において、ベルギーから輸入された武器・弾薬70トンを積載した蒸気貨物船「ラ・クーブル号」が爆発する事件が起きた。爆発は二度に及び、港湾労働者、消防士を含む81名が死亡、数百名が負傷する惨事となり、翌5日、ハバナ市のコロン墓地において追悼集会が行われた。この時キューバ政府閣僚の一人として演壇上に上がっていたゲバラの表情を捉えたものが『英雄的ゲリラ』である。 この写真が撮影される直前、壇上ではフィデル・カストロが爆破事件の詳細を説明しており、他にカミーロ・シエンフエゴスや、フランスから招かれていた思想家のジャン・ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール等、多数の閣僚および来賓が壇上に上がっていた。その中でゲバラは後列に立ち、撮影者のコルダは演壇より10メートルほどの場所から90 mm中望遠カメラ(ライカ・M2、コダック・プラス-Xパンフィルム使用)を構えていたため、その姿を確認することはできなかった。しかし11時20分頃、詰めかけた聴衆の様子を見ようとゲバラが前列に歩み出る。およそ30秒ほどで再び元の位置に戻ったが、この間にコルダはその姿を捉えた2枚の写真を撮影した。
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