授業の言語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:39 UTC 版)
マギル大学はケベック州に3校だけある英語で授業を行う大学である。入学にフランス語の能力は要求されない。しかし、法学部だけは、すべての学生に対して「パッシブ・バイリンガル」を要求する。つまり法学部の全学生はフランス語による「読み」と「聞き」が最低限できなければならない(もし母語がフランス語であれば、英語の読み聞きである)。なぜなら教員と学生は英語とフランス語のどちらも使用してもよいという学部方針があるためである。そのため、教授が英語で授業をする中、学生がフランス語で質問してもよい(逆に教授がフランス語で講義をして、学生が英語で受け答えをしてもよい)。マギル大学の学生は約3万8千人おり、そのうち5分の1は留学生である。ケベック州または海外からのフランス語を母国語とする学生は全体の約18%である。 授業は英語であるが、マギル大学設立当初より、学生がフランス語で論文を提出することを認めていた。1964年より、全ての学部で、英語またはフランス語で解答をしてもよいことになったが、授業の目的が特定の言語を学ぶようなものではない場合である。マギル大学にはバイリンガル・ポリシーとチャーターがある。 1960年代、ケベック州内でフランス語系ナショナリズムが高まった。1969年にマギル大学をフランス語圏大学に変えようとする運動がおこり、マギル大学はフランス語化を求められた。その運動は政治学教授のスタンレー・グレー(Stanley Gray)によって扇動された。1969年3月28日、ロディック・ゲート(英語版)で、1万人を超える労働組合員、左翼団体、CEGEP学生とともに、マギル大学の学生が抗議をした。マギル大学の学生や教授はマギルのフランス語化に反対し、多くの抗議者達は逮捕された。マギル大学は現在でも英語による教育研究を行う英語圏の大学であり、フランス語化や両国語化もされてはいない。しかしこの事件以来、フランス語圏出身の学生は増えた(当時は、学生の約3%だけがフランス語母語話者であった)。
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