振藩功夫(ジュンファン・グンフー)創始
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「截拳道」の記事における「振藩功夫(ジュンファン・グンフー)創始」の解説
1961年 - ワシントン大学に入学。大学では哲学を専攻し、自身の武術に哲学的要素を取り入れていく。同年(1962年という説もあり)、日本人空手家(黒帯)より挑戦を受け、Y.M.C.Aシアトルのジムにて実戦試合をし、わずか11秒でKOした。 1962年 - ターキー木村の勧めで、道場である振藩國術館を開設。詠春拳を基本とし、他の武術や格闘技(武術と格闘技は狭義では違う)の技術も取り入れた振藩功夫を指導する。 1964年 - シアトルの道場はターキー木村に任せ、移住先のオークランドに開設した第2の振藩國術館で振藩功夫を指導する。同年夏、ケンポー・カラテの師範エド・パーカーにより、ロングビーチ国際空手選手権大会に招待される。ターキー木村と共に参加し、ワンインチパンチや振藩功夫のデモンストレーションを行った。同年秋、道場破りに来た中国人拳法家ウォン・ジャックマン(太極拳、形意拳、北派少林拳)との闘いに約3分で勝利したが、相手を倒すのに長時間かかってしまったことを反省し、「実戦は6秒以内に終わらせる」という思想に基づき、振藩功夫を洗練させるべく、研究と実践に取り組む。截拳道を創始していく契機となった。 1965年 - 截拳道(名称)の基本構想が出来上がる。
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