戦国時代・前期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 12:33 UTC 版)
享徳の乱の際、扇谷・山内両上杉家は連合して古河公方足利成氏(鎌倉公方の後身)と敵対していたが、成氏との和睦後は両家で争うようになり(長享の乱)、内紛の末に衰退し、新興の後北条氏に圧迫されるようになる。武蔵に勢力をもっていた扇谷上杉家は、天文15年(1546年)の河越夜戦で後北条氏に敗れて滅亡、上野を本拠としていた山内上杉家の上杉憲政も、河越夜戦以降は後北条氏の攻撃を直に受けるようになって勢力を衰退させていった。 憲政はついに関東を放棄し、もとは家臣筋であり外戚でもあった越後長尾氏を頼った。永禄4年(1561年)、憲政は上杉氏の事実上の嫡流となっていた山内上杉家の名跡と関東管領の職を越後三条長尾家の長尾景虎(後の上杉謙信)に譲り、自身は春日山城に移った。深谷上杉家の上杉憲盛は武蔵にとどまって北条氏との戦闘を継続した。
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