成長と南北戦争による休止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/23 06:08 UTC 版)
「アメリカ科学振興協会」の記事における「成長と南北戦争による休止」の解説
1860年には会員数は2000以上に増大した。しかし歴史の波が AAAS の継続的な成長を妨げることとなった。第一次ブルランの戦いで本格的な戦争が始まったために1861年8月にナッシュビルで予定されていた会合が無期延期され、南北戦争の間 AAAS は冬眠状態となったのである。 1866年、Frederick Barnard の司会でニューヨークでのAAASの戦後初の会合が開催された。AAAS の組織改正後、再度の成長期が訪れた。AAASは会員になるのに特に科学的資格を問わなかった。ただし、著名な科学者にはフェローの称号を与えている。しかし、そのころには他の学術団体も設立され、成長は無限ではなかった。科学の様々な分野をひとつの組織の元に統合するという AAAS の目標はまだ目新しかった。当時設立された数々の学術団体は特定の研究分野に特化したものがほとんどであった。例えば1863年に設立されたアメリカ化学会は化学専門である。 しかし、1863年に設立された米国科学アカデミー(NAS)は AAAS と同様の学際的組織であった。ただしNASでは会員の推薦と当人の業績を評価した上で会員とするかどうかを決めている。
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