憐れみの聖母
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 10:11 UTC 版)
「悲しみの聖母」は、同じような称号がたくさんあったにもかかわらず、この称号の祝日は12世紀に普及した。この「悲しみの聖母」に関する著作は、11世紀頃にベネディクト会の修道士たちによって書かれたものがルーツとされている。聖母祭壇に「悲しみの聖母」を設置したのは、1221年のシトー会のシェーナウ修道院(Schönau)が初めてであるとされる。 最初に「悲しみの聖母」の祝日が公式に定められたのは、1423年に現在のドイツ・ケルンで開かれた地方司教会議によるものだとされている。それによると、復活祭から3番目の日曜日の直後の金曜日で、その名称は「聖母マリアの苦悩と悲しみの記念日」とされており、この祝日の目的は、キリストが磔刑に処せられている間と、キリストの死の瞬間の聖母の悲しみを黙想することにある。16世紀以前には、この祝日は北ドイツ、スカンジナビア地方、そしてスコットランドに限定されていた。 カトリックの司祭ウィリアム・サウンダーズによれば「この祝日は1482年に『憐れみの聖母』の称号でローマ・ミサ典礼書に公式に記載され、聖母が御子の死を悲しむ姿に表されたその大きな愛に焦点を当てるものである。ここで使われる語は、ラテン語で『共に苦しむ』という語がルーツになっている。」とされる。 西暦1600年が過ぎた後、この祝日はフランスにおいて「枝の祝日」の直前の金曜日とされることが一般的となった。教皇ベネディクト13世は1727年4月22日の勅令で、この祝日をカトリック教会内に広めた。
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