愛の母子像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:42 UTC 版)
1985年、遺族の要望により、横浜市へ寄贈する形で港の見える丘公園フランス山地区に犠牲者をモデルとした「愛の母子像」というブロンズ像が設置された。 行政側は当初、都市公園法の解釈を理由に、本件に関わる説明の設置を認めず、遺族側が「あふれる愛をこの子らに」と予定していた台座の文に関しても、同法に抵触すると主張。妥協として「この」を削った「あふれる愛を子らに」とされ、予備知識がない限り本件の記念碑であるという認識が困難な状態が続いていた。そのため一部市民から疑問の声が相次ぎ、2005年2月、当時の横浜市長中田宏が定例記者会見の中での回答以降、翌2006年1月に事件の概要を簡潔に記述した碑文が設置されたが、像設置から碑文設置まで約21年の歳月が費やされた。 この他、横須賀市内にも「鳩よよみがえれ」と題した本事件追悼の母子像がある。
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