恩賜林の誕生と明治40年の大水害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 07:10 UTC 版)
「恩賜林」の記事における「恩賜林の誕生と明治40年の大水害」の解説
江戸時代において山林は入会権を有する村落により管理されていたが、明治維新を経て1881年(明治14年)には山林を対象とした地租改正が実施され、大半の山林は国有林に区分された(林野官民有区分)。さらに、1889年(明治22年)には自由民権運動をうけた国家予算の国会承認導入を嫌った岩倉具視による国有財産の皇室財産化政策により、山林は皇室財産である御料林(ごりょうりん)となる。 林野官民有区分により入会権に基づいた村落の山稼ぎは制限されることとなり、生業において山林における山稼ぎが重要であった山梨県の山間部では、入会権を確固なものにするべく、当時組織されていた御料地入会組合や県議会を通じて入会山の払い下げ交渉を国と行っていた。明治期には入会活動が制限されたことに加え、県令・藤村紫朗の主導する殖産興業政策により山林の荒廃が進行し、明治期には大規模な水害が多発した。特に、1907年(明治40年)に発生した明治40年の大水害は県下一帯に被害を及ぼし、続く明治43年の大水害においても多大な被害が生じた。 こうした大水害による復興において、1911年(明治44年)3月11日に県内の御料林約16万4000ヘクタールが無償で山梨県に下賜された。この面積は山梨県全体の約3分の1にも及ぶ。山梨県では翌年の1912年(明治45年)以降、毎年3月11日を恩賜林記念日としている。
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