志賀町 (福岡県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/25 06:12 UTC 版)
しかまち 志賀町 |
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廃止日 | 1971年4月5日 | ||
廃止理由 | 編入合併 志賀町 → 福岡市 |
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現在の自治体 | 福岡市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | ![]() |
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地方 | 九州地方 | ||
都道府県 | 福岡県 | ||
郡 | 糟屋郡 | ||
市町村コード | 40346-6 | ||
面積 | 11.87 km2. | ||
総人口 | 8,796人 (国勢調査、1970年) |
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隣接自治体 | 福岡市 | ||
志賀町役場 | |||
所在地 | 福岡県糟屋郡志賀町 | ||
座標 | 北緯33度39分46秒 東経130度18分47秒 / 北緯33.66283度 東経130.31314度座標: 北緯33度39分46秒 東経130度18分47秒 / 北緯33.66283度 東経130.31314度 | ||
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志賀町(しかまち)は、福岡県の北部に位置していた町である。糟屋郡に属していた。
1971年4月5日に福岡市へ編入され[1]、自治体としては廃止された。現在は東区の一部となっている。
本項では町制前の名称である志賀島村(しかのしまむら)についても述べる。
地理
福岡県の北部、志賀島および対岸の海の中道の先端部の地域を行政区域とした。現在の福岡市東区志賀島島内全域と西戸崎・大岳地区にあたる。志賀島は陸繋島であり、志賀島と海の中道は砂州でつながっていたが、満潮時にはこの砂州が海中に沈み通行不能となるため、1930年に両岸を結ぶ橋が建設された。
歴史
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、糟屋郡志賀島村・勝馬村を統合して糟屋郡志賀島村が発足。
- 1930年(昭和5年)[要出典] - 村内西戸崎地区との志賀島橋開通。それまでは潮が引いた時のみ陸続きとなる状態であったが、開通後橋脚に砂が溜まりはじめ九州本土と完全に陸続きになった。
- 1945年(昭和20年)10月 - 終戦に伴い米軍が博多海軍航空隊跡地を接収し、「キャンプ・ハカタ」が設置[2]。
- 1953年(昭和28年)
- 1971年(昭和46年)4月5日 - 福岡市へ編入され消滅[1]。
- 1972年(昭和47年)
交通
※福岡市への編入時点のもの。
空港
町内に空港はないため、福岡市の板付飛行場を利用することとなる。
なお、かつては西戸崎飛行場が存在した[要出典]。
鉄道
航路
- 志賀町営渡船
- 福岡市 - 西戸崎 - 大岳 - 志賀島
脚注
関連項目
- 志賀町 (福岡県)のページへのリンク