志染地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 12:29 UTC 版)
志染川沿岸の農村地帯であり、奈良時代から平安時代にかけて、志深郷と呼ばれていた。丘陵地は1970年頃から大和ハウスを中心に神戸電鉄粟生線の北側で緑が丘・自由が丘・青山の順にニュータウンが次々と開発され、現在では神戸市など阪神間のベッドタウンである。また、近年では兵庫県を事業主体とする三木総合防災公園・ひょうご情報公園都市の整備が進められている。一方で、現在でも豊かな自然が残っており、伽耶院・志染の石室(窟屋の金水)や御坂サイフォンや千体地蔵などの観光名所や、名門と謳われ、阪神間モダニズムの影響を受け設計された広野ゴルフ倶楽部がある。また、神戸市との境にある呑吐ダムは、灌漑・上水道を供給している。交通については、道路では山陽自動車道三木東インターチェンジ (IC) や神戸淡路鳴門自動車道方面への分岐点である三木JCTがある。鉄道では神戸電鉄粟生線が東西に走っており、東から緑が丘駅・広野ゴルフ場前駅・志染駅がある。これらの駅の北側がニュータウン地域となっている。 詳細は「志染町」を参照 志染地区のニュータウン地帯(志染町青山6丁目にて) 志染地区の田園地帯(志染町吉田にて)
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