役立たずの第3煙突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:50 UTC 版)
「日立鉱山の大煙突」の記事における「役立たずの第3煙突」の解説
1913年(大正2年)6月、鉄筋コンクリート造の第3煙突は完成し、使用が開始された。第3煙突建設の主目的は排煙中の亜硫酸ガス濃度を希釈させて排出することである。そこで煙突完成後、農商務省が提示した基準値がクリアされているかどうかテストが行われた。テストの結果は極めて良好であった。前述のように電力不足のために扇風機の使用が行われない状況下であったが、その状態でも農商務省の規制値を優にクリアする低濃度を達成していた。つまり第3煙突は排煙を薄めて排出するという点では目標を達成した。 しかし日立鉱山当局者が危惧していた通り、第3煙突は肝心の煙害軽減には全く役立たなかった。同年夏には茨城県北部の主要作物の1つであったタバコに甚大な煙害が発生した。そして煙害は日立鉱山関係者にまでも直接的な被害を及ぼすようになってきた。鉱山住宅に住む労働者たちから苦情が出されるようになり、大雄院の小学校校長からは煙害が原因の咳で子どもたちが苦しんでいるので何とかしてほしいとねじ込まれる始末であった。 この政府の命令によって建設された煙突は、農商務省に提出された計画書内では第3煙突という名称が付けられていたが、第3煙突と呼ばれることはまれで、ずんぐりしたその形状からタンク煙突とかダルマ煙突、また政府の命令によって建設されたため命令煙突、しまいには政府の命令に従って日時と費用を費やして建設したのにも関わらず、全く煙害軽減に役立たなかったために阿呆煙突とも呼ばれるようになってしまった。結局、第3煙突も神峰煙道と同じく1915年(大正4年)3月1日大煙突の使用開始後に廃止された。廃止後、第3煙突は神峰煙道とは異なり、取り壊されること無く残っている。
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