役七夕の名称について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 18:15 UTC 版)
能代役七夕は、新暦8月1日から7日にかけて行われる能代の七夕行事の内、狭義には8月6日と7日に行われる行事を指すが、それに先立つ8月1日の会所開きをもって役七夕の始まりとする認識も一般的である。ところで「役七夕」という名称の由来は、参加する当事者全てに役職が割り当てられ、厳格な上下関係が守られているからとも伝わるが、記録上「役七夕」の語は1897年(明治30年)地元の呉服商相沢金一郎の残した日記に初めて見られるものである。そこでは 明治三十年 万町当番なり。役七夕は大町村上与兵エの作にて五丈なり。宮島の景なり。 とあることから、当初は当番町の出す灯籠それ自体を指して役七夕と称しており、一方で行事自体は江戸時代からの呼称である「ねぶ流し」「ねむり流し」「ねむた流し」「眠ながし」、あるいは単に「七夕」等と呼ばれていた。この行事の当番町が出す大灯籠を、加勢丁(後述)の出す灯籠と区別して役七夕と呼称する用例は、1907年(明治40年)に能代に来遊した俳人河東碧梧桐の私信によっても裏付けられている。このような用例は、実に昭和戦後の新聞記事まで連綿と見られるものだが、元来旧暦の7月6日夜から翌朝にかけてのみ行われていた能代の七夕行事が7月1日から7日までに拡張されていく過程にあっても、原義である大型灯籠の「役七夕」運行は7月6日夜のみに限るという伝統が守られ続けたことで、7月6日から7日にかけて行われる行事をも特に役七夕と呼称する意識が形成されていったものと考えられている。同時に、役七夕という語が、様々な応接儀礼を取り交わしながら実行されるこの行事の実態を説明するのに適切な表現であったともいえる。
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