形式と意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 13:45 UTC 版)
イイススの祈りは短い祈願文である。これを繰り返し唱える。 祈祷文はイイスス・ハリストス(イエス・キリストの現代ギリシャ語・教会スラヴ語読み)に呼びかける形となっている。人間としての名であるイイススという名前を以て呼びかけの対象を明確にし、ハリストスという称号を以て「イイススがハリストスである」という信仰を言い表している。名前が機密的な力を持つものとして正教会では捉えられており、「名前を用いることで、その名のペルソナを実在させる」(カリストス・ウェア)と言われる。自分のために変容し、十字架にかけられ、復活し、常に自分と共に居るイイスス・ハリストスに対し、我が主よ、我が救いよ、呼びかける。 イイススの祈りはイイスス・ハリストスへの祈りと同時に至聖三者への祈りでもある。イイスス・ハリストスを「神の子」として、至聖三者の第一位としての神父(かみちち)に言及し、聖神(聖霊)の助けを得て祈る事で聖神にも言及している。聖神の助けを得てイイススに祈る事については聖書の以下の箇所が根拠とされる。 聖神゜に由らざれば、一人もイイススを主と稱ふる(となふる)能はず。 — コリンフ前書(コリントの信徒への手紙一)12章3節、『新約』(日本正教会訳、1901年) また、「主」「神の子」と呼びかけることでイイスス・ハリストスの神性が現され、「イイスス」という人間としての名を呼ぶ事で人性が表されてもいる。 ロシアの『無名の巡礼者の手記(英語版)』によれば、イイススの祈りには福音書全体が含まれて居るともされている。敬拝と痛悔、光栄と赦しという要素が含まれており、神による救いと憐みを臨在させるとされる。 イイススの祈りはこのように、至聖三者に対する呼びかけを伴う信仰告白であり、神への祈願である。単に気持ちを集中させたり気持ちをリラックスさせたりするためのテクニックではない。
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