弁護士復帰後
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政界を引退した後は弁護士活動を再開し、2004年6月5日に統営市、6月27日に束草市でそれぞれ開催されたトライアスロンに参加したりなどもした。また、議員活動の中で得た2500万ウォンの残余金を、1500万ウォンを環境財団、1000万ウォンをソウル文化財団に寄付した。また、新聞広告で得た収益金3000万ウォンを障害者や北朝鮮の子供達をサポートするための社会福祉法人・大韓社会福祉会に寄託したりなどもしたが、一部ではそれらの行為を、ソウル市長選挙出馬を意識したものではないかとの声も挙がったが、呉は2005年3月10日付のインタビューの中で、ソウル市長選への出馬は全く意識していないと語った。 だが、同年6月の世論調査において、呉はソウル市長に相応しい人物の1位に選ばれたことから、市長選への出馬を仄めかす発言をするようになった。その後は、11月2日の毎日経済新聞のインタビューの中で、市長選へ出馬しない意向を表明したものの、翌2006年4月5日にウリ党の康錦実前法務部長官が市長選への出馬を表明したことから、ハンナラ党の少壮派が呉の出馬を主張し、党執行部も党内予備選への参加を要求した。このことから4月9日に呉は予備選への参加を正式に表明し、瞬く間に党内における支持の取り付けに成功し、4月25日の世論調査では65.05%の支持、予備選においても約41%の得票率を得て、ハンナラ党のソウル市長候補となった。 市長選では、途中弁護士時代に撮った浄水器のCMが、選挙の90日前以降も放送されていることが、写真広告を禁止した選挙法に違反するとして告訴されたりするといった逆風にさらされながらも、5月20日に朴槿恵党代表が遊説中に暴漢に襲撃された事件をきっかけに、党と呉への支持率が急上昇し、ハンナラ党は5月31日に行われた第4回全国同時地方選挙で、全国16ヶ所の広域団体長選挙において12勝を挙げ、呉もソウル市長に当選した。
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