弁護士になるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 11:34 UTC 版)
「ローラント・フライスラー」の記事における「弁護士になるまで」の解説
1893年10月30日、プロイセン王国ツェレにアーヘン王立建築学校で教官を務める技術者の父ユリウス・フライスラー、母シャルロッテ・フライスラーの長男として生まれる。 1912年にイェーナ大学で法学の勉強を始めたが在学中に第一次世界大戦が勃発して軍に志願、士官候補生、次いで少尉として従軍し、1915年にロシア軍の捕虜となってシベリアの捕虜収容所に送られている。 収容所内でうまく立ち回り、1917年にロシア革命が起きた後は、ウクライナでボリシェヴィキの政治委員を務めていた。この共産主義者だったという前歴は、後のナチ党政権下で彼に対する陰口のネタになった。ヒトラーからも「あの元ボリシェヴィキ」と侮蔑されたという逸話もあり、フライスラーは終生これに悩まされたという。 終戦後の1920年、ドイツに帰還。イェーナ大学に復学し、1922年に法学博士号を取得。従軍期間のブランクを考えれば速い博士号取得といえる。1924年に司法官試補の修習を終えるとカッセルでやはり法律家だった弟オスヴァルト・フライスラー(ドイツ語版)と共に法律事務所を開設した。兄のローラントは刑事弁護専門で、弟のオスヴァルトは主に民事事件を担当した事務所だった。ローラントは瞬く間に刑事事件専門の一流弁護士として名を馳せた。
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