延吉と新田次郎
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小説家の新田次郎(1912~1980)も敗戦後の一時期を延吉で過ごした。 新京(現・長春)で敗戦を迎えたのち家族とともに北朝鮮に移動したが、新田次郎一人はソ連軍の捕虜となり延吉に送られた。1945年10月末から12月31日までの2ヶ月を延吉捕虜収容所に入れられたのちに釈放され、八路軍の技術者として雇われ冬を過ごし、夏になって日本人捕虜大隊の一員として葫蘆島(遼寧省)より引揚げを果たした。 日本引揚げまでの経験は『望郷』『豆満江』『七人の逃亡兵』(『新田次郎全集9巻』に収録)に書かれているが、延吉捕虜収容所の経験は記していない。 この小説は、中共軍技術者として、延辺地区軍司令部にいたころから、胡盧島までの私の歩いた道を小説として書いたものである。ほんとうは、終戦の年の延吉捕虜収容所のことから書けばよかったが、一冬の間に、二万とも、三万ともいわれる病死者を出したこの収容所の生活はあまりにも悲惨に過ぎていて、なんとしても書くことができなかった。(『望郷』あとがき)
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