廓内線の開業と休止とは? わかりやすく解説

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廓内線の開業と休止

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/27 23:45 UTC 版)

名古屋市電大津町線」の記事における「廓内線の開業と休止」の解説

1928年昭和3年11月名古屋市会名古屋市役所新栄町1丁目より南外堀町6丁目(現・中区三の丸)の騎兵第3連隊跡地移転する決定した市役所新庁舎1931年昭和6年11月起工され、1933年8月23日より旧庁舎からの移転始まり同年9月6日竣工した1933年6月9日付で、名古屋市対し南外堀町10丁目から南外堀町6丁目へ至る0.432キロメートル軌道敷特許下りた。同区間すなわち「廓内線」は世界恐慌に伴う失業者対策事業(「失業応急事業建設改良工事」)の一環として建設され1933年8月24日大津停留場から市役所前停留場までの路線として開業至った開業にあわせ、当時大津または栄町起点としていた熱田直通系統3つ市役所前まで延長されている。また「市役所前」を称する停留場市電では2代目で、栄町線にあった初代市役所前停留場開業先立つ8月7日付で「武平町」へと改称された。 太平洋戦争開戦後1943年昭和18年1月17日工員輸送強化目的多数通過停留場設定した特急電車の運転が開始された。特急運転時間始発から7時までの間で、その間廓内大津 - 市役所前間は運休とされた。さらに同年12月1日系統改正で、同区間栄町線末端西裏 - 千種駅前間とともに全面的に運転休止となった。こうして開業から10年休止となった廓内線は、半年後の1944年昭和19年6月20日軌道撤去されてしまった。 その後廓内線が営業再開することはなく、休止中のまま1963年昭和38年2月1日付で正式に廃止された。

※この「廓内線の開業と休止」の解説は、「名古屋市電大津町線」の解説の一部です。
「廓内線の開業と休止」を含む「名古屋市電大津町線」の記事については、「名古屋市電大津町線」の概要を参照ください。

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