幼年期~高校、3年間の大学受験浪人時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:16 UTC 版)
「深見東州」の記事における「幼年期~高校、3年間の大学受験浪人時代」の解説
深見の評伝を書いた磯崎史郎によると、生家は代々酒樽製造業を営んでおり、最盛期には灘五郷の酒蔵の酒樽作りを一手に引き受けていた日本一の酒樽屋だったという。 深見が物心ついた頃には家庭環境はかなり荒んでおり、当時の幼い深見は母を助けてほしいと神仏に祈り続けていた。宗教学者の沼田健哉は、この時の経験が深見を宗教の道に進ませた大きな要因であると述べている。夫との生活に耐えられなくなった母は世界救世教に関わるようになり、深見は10歳の頃から信仰に目覚めた母より宗教心を育てられた。高校入試前に正式に世界救世教に入信。中学からクラシック音楽を聴くようになった。 兵庫県立鳴尾高等学校に進学し、世界救世教支部の学生部を結成し熱心に活動した。この頃、母の原因不明の病気が世界救世教の浄霊では治らなかったが、大本の除霊で良くなったことなどをきっかけに、救世教から大本教へ転向し、霊の実在と神霊による病気治癒などを確信するようになった。大本の教典である『お筆先』や出口王仁三郎の著書『霊界物語』を繰り返し読むようになる。 大学受験に際し、父が国立大学しか進学を認めずに喧嘩となり浪人生活に突入。浪人1年目から周囲が驚くほどの読書家となり毎日1冊ずつ本を読むようになり、浪人2年目から予備校に2年通った。浪人時代には純文学、恋愛小説、哲学書など合計1000冊以上を読んだという。
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