年代に関する論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 13:55 UTC 版)
ラムセスが統治した正確な年代については諸説があり、このことはレヴァントにおける後期青銅器時代が崩壊した年代とも関係が及ぶ。一般にその年代はパレスチナの海岸沿いで出土した陶器よりヘラディック期(英語版)の後期IIIC (紀元前1190年-紀元前1060年) であり、上述のラムセス在位8年目の「海の民」との戦争も含まれる。なお、この出土した陶器の年代は従来まで紀元前1179年頃と比定されていたが、放射性炭素年代測定や他の外部の調査によって紀元前1100年頃と認められている。 アイスランドにあるヘクラ山の3度目の噴火(英語版)によって顕著な寒冷化が起きたと評されており、その年代を紀元前1159年頃とする説がある。1999年にヘクラ山の3度目の噴火に関して採取したデータを使って、数人の科学者がラムセスが在位期間内に当たる紀元前1159年頃の状況について立証しようとした。上述したようにラムセスの在位29年目にデール・エル・メディーナ(英語版)で職人のストライキが発生したとの記録が残っているが、このストライキがヘクラ山の3度目の噴火による影響を受けたと指摘した。へクラ山の3度目の噴火がこの年代 (前1159年頃) であれば、災害が起こってから1年程度の凶作は当時のエジプトが備蓄していた食糧で対処できたと考えられるものの、前1159年頃から3~4年後 (前1156年または前1155年) にラムセスの治世が終わったことを示すとされた。 一方で別の科学者がBP2900 (紀元前1000年頃) のデータを火山の地層を再調査した。2002年に火山灰の地層を含む泥炭の沈殿物を高精度の放射性炭素年代測定をしたところ、ヘクラ山の3度目の噴火は紀元前1087年から紀元前1006年の間に起こったと発表した。ラムセスの治世を紀元前11世紀代とするエジプト学の研究者は1人もおらず、ヘクラ山の3度目の噴火はラムセスが在位した年代より後に出来事であったと示された。。
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