「海の民」との戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
ラメセス3世は、治世5, 11年にリビア人と、治世8年に海の民と戦った。治世5年にはリビア人が王朝が交代し王権が弱体化したのを見て、治世8年には、海・陸同時に海の民が攻めてきたが、どちらも打ち破ることに成功した。 このようにラメセス3世はいずれの戦いにも勝利したが、そもそもこの戦いはエジプト側の防衛戦であり、パレスチナ方面には一部海の民を定住させてしまうなど、実は辛うじて守り抜いたといった状況であった可能性がある。松本 (1998)は、この時エジプトはすでに第18王朝のような大国ではなくなってしまっていたため、侵攻されてしまったという考え方を示している。 しかし、エジプトはこの3度の戦争の後、一時平和な時代を迎えたようである。大ハリス・パピルスに記されているラメセス3世自身が語ったと言われている言葉によると、「歩兵も戦車兵も自分たちの町で体を十分に伸ばして眠れるようになった。彼らの弓も武器も、倉庫に収められたままであった」という安寧の時代であった模様である。
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