幕府の出火対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 09:08 UTC 版)
江戸時代初期の幕府重臣たちは、大火の原因が強風などに乗じた放火犯の所業にあると考え、将軍や江戸城の防備を第一に対策を立てた。そのため町人地に対する火事対策はほとんど考慮されていなかった。町人の力が増大するにつれて幕府の対策にも変化があらわれるようになり、8代将軍徳川吉宗による享保の改革では江戸全域を対象とした幅広い火事対策が行なわれている。 幕府の対策としては、消防組織である火消の制度化、厳罰を科すことによる放火の抑制、大名屋敷や寺社の移転による火除地・広小路の確保、瓦葺や土蔵造りの採用による不燃化の推進などが行なわれた。人口の増加に対しては、天保の改革により天保14年(1843年)に人返しの法を出したものの、大きな効果はあげられなかった。
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