帰米・帰加・帰伯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 03:11 UTC 版)
「二世 (日系人)」の記事における「帰米・帰加・帰伯」の解説
二世の中でも、アメリカ・カナダ・ブラジルで生まれ、日本で教育を受けた後、再び各々の国に帰った者を「帰米(kibei)二世」「帰加(kika)二世」「帰伯(kihaku)二世」と呼ぶ。日本に送られた主な理由としては、日本の文化や日本語を忘れて欲しくない、という日本で生まれ育った一世である親達の意向によるものだった。 その中でも戦前にアメリカに戻った帰米二世達は、日本語が堪能な反面、英語は上手く話せないといった問題に直面し、アメリカ社会への適応に手間取っただけではなく、日米開戦後は教育を受けた日本への忠誠心と、「自分はアメリカ人である」というアイデンティティの間に板挟みになる、といった苦悩に直面した者が多く、忠誠登録の核となった質問27・28には「No-No」と答えた割合が、アメリカで生まれ育った二世に比べて多かったという。その一方で、一般的な二世の多くが日本語能力が十分でない中、日本で教育を受けたことによって得た、難読漢字の入り混じった軍事文書を読めるなど、帰米ならではの高い日本語能力が重宝され、MISに日本語教員や語学兵として配属されたというケースが多かったという。一方で、帰米二世のなかでも様々な理由で日米開戦後も日本に残り続けた者達は、日本人として学徒出陣によって自身の祖国であるアメリカと戦わざるを得ない状況に置かれてしまうこととなり、MISのメンバーの中には「兄弟が別れ別れになり戦った」という者もいたという。
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