市販車・スーパーテネレの登場とワークスレーサーへの採用
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「ヤマハ・XTZ750スーパーテネレ」の記事における「市販車・スーパーテネレの登場とワークスレーサーへの採用」の解説
1987年から、市販車・スーパーテネレの開発が始まっていたが、パリダカ参戦は単気筒マシンであった。1988年からは、モータースポーツ開発部がマシン開発を担当し、純粋なファクトリーレーサーとなる。単気筒ながら5バルブの水冷DOHCエンジンがおごられ、排気量は756.8ccに拡大、名称もYZが冠されたYZE750テネレ(0W93)となる。大排気量らしく、ツインプラグであった。翌1989年、シングルプラグ化するなど改良版(0W94)が、フランコ・ピコのライディングにより2位を獲得した(オフィシャルがゴール地点を誤らなければ1位であった)。このマシンは、のちにステファン・ペテランセルが試乗した際、「このマシンでも勝てる」という趣旨の発言を残したほど、完成度の高いものであった。その年、市販車のスーパーテネレが発売開始された。 そして、いよいよ1990年より、ヤマハは市販車のスーパーテネレをベースにしたマシンでの参戦を開始。ペテランセルによる前人未踏のV6が達成されることになる。1990年は、排気量を802.5ccに拡大したYZE750Tスーパーテネレ(0WB8)で参戦し、カルロス・マスによる2位に終わったが、1991年には低中速での性能とマシンの耐久性を向上させたYZE750Tスーパーテネレ(0WC5)を投入。排気量は802.5ccであった。ペテランセルがついに総合優勝を果たしただけでなく、1位から3位までヤマハが表彰台を独占。ヤマハは10年ぶりにタイトルを奪還した。 翌1992年は排気量を850ccまで拡大したYZE750Tスーパーテネレ(0WD8)で、やはり優勝した。車名と排気量が異なるが、そのいきさつは未詳。1993年、1992年型YZE750Tスーパーテネレの改良モデルをYZE850Tスーパーテネレとして1992年9月「パリ〜モスクワ〜北京ラリー」で使用し、さらに熟成を加えたマシンが1993年型YZE850Tスーパーテネレ。ペテランセルのライディングで3連覇を果たした。
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