市会議員へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/20 04:57 UTC 版)
1929年(昭和4年)、30歳を迎えて被選挙権を得た鈴木は、父の勧めもあって静岡市議への立候補を決意する。政友会から出馬した鈴木を含め66人の候補者は36の議席を争い、4月12日に鈴木は11位の得票数で当選した。 しかし、市会での鈴木は、財政問題や候補の公認などで政友会の非主流派に属してはいたが、その他に特徴的な政治活動は行っていない。1933年までの4年の任期中に議事録に残された発言も12回のみで、1930年(昭和5年)には開会日数の35パーセントに、翌年には44パーセントに欠席している。市議としての鈴木に活発な動きが見られないのは、すでに静岡鉄道の顧問弁護士として活動していた鈴木が、この時期には嬰児十九人殺し事件や、宮内大臣の一木喜徳郎に対する御料地の境界画定訴訟など重大事件を担当し、弁護士として多忙となっていたことが理由と考えられる。
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