川内町の市制施行と東手からの分立以降
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「向田町 (薩摩川内市)」の記事における「川内町の市制施行と東手からの分立以降」の解説
1940年(昭和15年)2月10日に鹿児島県公報に掲載され、同日に施行された「 薩摩郡川内町、町名改稱竝區域變更」(鹿児島県告示)により「同郡同町大字東手ヲ廢止シ其ノ區域中(中略)字大坪、原田、五反田、永田、菱川、神田、水畔、江崎、若松原、中水流、下水流、竹場、江川田、巾畠、流寄、仮屋、新町、横町、中町、堀田、上町、平池、上平池、石次郎、菅牟田、井穴、藤原、樋口、諏訪平、鋒本、東平、北平、町口、坂元、西平、月形平、安之上、巣山、腰掛、水流、淵之上、月形ノ區域ヲ向田町(ムカウダチヨウ)ト改稱ス」が鹿児島県知事によって許可され、薩摩郡川内町大字東手のうち字大坪、原田、五反田、永田、菱川、神田、水畔、江崎、若松原、中水流、下水流、竹場、江川田、巾畠、流寄、仮屋、新町、横町、中町、堀田、上町、平池、上平池、石次郎、菅牟田、井穴、藤原、樋口、諏訪平、鋒本、東平、北平、町口、坂元、西平、月形平、安之上、巣山、腰掛、水流、淵之上、月形の区域を以て川内町の町「向田町」が設置された。翌日の2月11日には薩摩郡川内町が単独で市制施行し川内市となった。 1965年(昭和40年)4月1日に向田町の一部の区域において住居表示に関する法律に基づき街区方式による住居表示が実施されることとなった。それに伴い同日付で町名・地番の変更が行われ向田町の区域の一部より向田本町、東向田町、西向田町、神田町、若松町、東開聞町、西開聞町が設置された。 2004年(平成16年)10月12日に川内市、東郷町、入来町、祁答院町、樋脇町、下甑村、上甑村、鹿島村、里村が新設合併し薩摩川内市が設置された。この市町村合併に伴い設置された法定合併協議会において川内市の町・字については「現行通りとする。」と協定されたため、名称の変更は行われずに薩摩川内市の町となった。
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