崇広堂時代(1905-1984)
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「伊賀市上野図書館」の記事における「崇広堂時代(1905-1984)」の解説
阿山郡教育会附属図書館として、1905年(明治38年)1月8日に上野町丸之内尋常小学校(現・伊賀市立上野西小学校)の一部を借用し開館した。丸之内尋常小学校は津藩(藤堂藩)の藩校であった崇広堂を利用していた。蔵書3,214部12,160冊をもって出発したが、その蔵書の大半は住民からの寄贈であったという。当初から巡回文庫を実施し、阿山郡各地に図書館の本を持って行ったという。阿山郡教育会附属図書館は、1912年(大正元年)10月30日に三重県阿山郡図書館に改称している。大正時代には理容所に本をおいてもらう巡回文庫を展開し、「床屋文庫」と呼ばれていた。 三重県阿山郡図書館は阿山郡が運営していたが、郡制の廃止に伴い1922年(大正11年)4月1日に財団法人阿山郡教育会に移管した。更に1927年(昭和2年)5月に上野町教育会へ移管して上野図書館に改称、続いて1937年(昭和12年)4月1日に上野町へ移管、上野町立図書館に改称した。1941年(昭和16年)9月10日、上野町が市制施行して上野市となったことにより上野市立図書館に館名を変更した。
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