崇徳銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 14:48 UTC 版)
崇徳銀行とは、明治45年(1912年)3月、広島市に設立された銀行で、中島本町20番地(現・中区中島町)に本店をおいた。初代頭取を務めたのは呉市きっての素封家で敬虔な真宗門徒として知られた沢原為綱で、経営陣には崇徳教社に関係する地元財界人・宗教人が名を連ねた。当初財政難に陥っていた崇徳教社による学校経営は経費を銀行収益から捻出することを目的に、破綻によって廃業した広島市の第一信託銀行の営業権を買収して設立したものであった。当初は業績も順調で崇徳教社の運営費の供給に貢献したが、1921年(大正10年)を頂点に預金額が減少し、戦後恐慌の影響からこれ以上の発展が見込めなくなったため、1924年4月には当時の頭取であった沢原俊雄が頭取を兼務する呉市の沢原銀行に債権・債務の一切を譲渡することを決議し、大正14年(1925年)6月に解散した。
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