岡山編「たちばな・雉真家」パート(1925年 - 1946年)
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日本でラジオ放送が始まった1925年(大正14年)に岡山市・朝丘町商店街の和菓子店「御菓子司 たちばな」で生まれた橘安子は、地元の名家の長男・雉真稔と親しくなったのをきっかけに、ラジオ英語講座で英語の勉強を始める。安子は稔に思いをよせ、大阪の大学に戻った稔と文通する。ある日安子の兄算太が借金が原因で勘当され、また安子は見合いを勧められる。それを知った稔は岡山の橘家を訪ね、安子に求婚する。稔の母・美都里は稔に見合いの話があることから嫌がらせをして安子に身を引かせようとするが、稔の父・千吉は安子の気立ての良さを認め、二人の結婚を許す。しかし稔は安子との短い結婚生活のあと出征する。翌年、安子は女児を出産。二人が好きな曲である「On the Sunny Side of the Street」を歌唱する「ルイ・アームストロング」にちなんで「るい」と名付ける。その後、稔の弟勇も出征する。その後戦況は悪化し、岡山でも空襲がはじまる。この空襲で橘家は母の小しず、祖母のひさを亡くし、父の金太はショックで床に伏す。 1945年(昭和20年)に終戦を迎え、安子は未だ寝込んでいる金太のためにおはぎを作る。安子の作ったおはぎによって金太は立ち直り、焼け跡で安子と二人で「たちばな」を再開するも、金太は心臓病で急死する。その後勇が復員し、雉真家につかの間の幸せが戻る中、突如稔の戦死の知らせが届く。そのショックで美都里は安子につらく当たるようになる。それを見かねた千吉は、るいを雉真家の養子にして、安子には再婚するように勧める。両親の仕打ちを見かねた勇は、安子とるいを大阪に逃がす。
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