山形市立第二中学校とは? わかりやすく解説

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山形市立第二中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/25 13:24 UTC 版)

山形市立第二中学校
北緯38度15分41.5秒 東経140度18分27秒 / 北緯38.261528度 東経140.30750度 / 38.261528; 140.30750座標: 北緯38度15分41.5秒 東経140度18分27秒 / 北緯38.261528度 東経140.30750度 / 38.261528; 140.30750
国公私立の別 公立学校
設置者 山形市
設立年月日 1947年5月2日
創立記念日 5月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C106220130022
中学校コード 060005[1]
所在地 990-0853
山形県山形市西崎62番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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山形市立第二中学校(やまがたしりつ だいにちゅうがっこう、Yamagata Civic 2nd Junior High School)は、山形県山形市にある公立中学校。略称は「山二中」(やまにちゅう)、山形市内では「二中」とも呼ばれている。学制改革に伴い開校したため、市内の中学校では歴史が古い。ちなみに山形三中山形四中とは兄弟校である。

概要

山形市のナンバースクール2番目の学校。学区は、JR北山形駅西側から須川の東側までと広い学区をもつ。学区内には山形テレビ(YTS)本社も含まれる。校章はが2羽向かい合った上り鳩である(以前は逆さ鳩であったが変更された)。生徒のほとんどは山形七小山形十小(一部)、山形西小宮浦小(一部)出身である。

学区

城西町・城北町・肴町・北山形・下条町・西田・江南一~三丁目・霞城公園・西崎・椹沢、西原

(山形市第七地区奥羽本線以西、第十地区城西町部、椹沢地区)

沿革

学校設備

  • 校舎
コの字型(体育館を含めるとヨの字型)になっている。南側が教室棟、西側が管理棟、北側が特別教室棟となっている。
  • 体育館
校舎とは1階・2階の渡り廊下でつながれている。市内の中学校の体育館では比較的大きく、バレーボールコート2つ分が十分張れる位の大きさがある。
  • 中庭
校舎とグラウンドの間の中庭に『五垂の泉』と呼ばれる小さな池がある。城西町旧校舎時代から引き継がれている。

生徒会機関

  • 執行部
  • 事務局
  • 常任委員会
  • 評議委員会
  • 美化委員会
  • 広報委員会
  • 学習委員会
  • 保健委員会
  • 給食委員会
  • 非常任委員会
    • 選挙管理委員会
    • 推薦委員会
    • 応援団

部活動

  • 生徒は必ずいずれかの部に所属しなければならない
運動部
文化部
その他
  • 総合
総合部は、「生徒が小学校在籍時からある活動を継続しており、中学校入学後もそれを継続することを希望し、尚且つそれが通常の部活動に準ずる活動である」という場合に、その活動の継続の為に入部することが出来る部である。総合部の生徒は基本的に自身の活動は行うべき時に行い、放課後は自主学習をしたり校地周囲の農道を走ったりしている。
期間限定

伝統と変化

  • 長い間受け継がれてきた独特の応援がある。入学式直後の対面式では、在校生が新入生へ向け威勢の良い応援の声を張り上げる。
  • 特に応援に関しては、一部運動部に所属する生徒が、態と応援歌を1小節早めて歌うという変わった現象が見られる。
  • 五垂の泉は校歌と同様長年受け継がれてきたものである。
  • 男子は登校時に学帽を着用するという伝統があったが、生徒総会で着用の自由化が話し合われ可決、更に教職員会議でも可決された為、平成16年度2学期から「学帽着用の自由化」が認められた(厳密には着脱については選択が自由であるが、ほとんどの生徒は着用していない)[2]

出身有名人

所在地

〒990-0853
山形県山形市西崎62番地

生徒数・学級数

2003年度以降は『山形学校名鑑』より参照。

年度 男子 女子 増減 学級数 増減 備考 出典
1949(昭和24)年度 897 825 1,722 37 [3]
1955(昭和30)年度 539 534 1,072 -650 22 -15 [4]
1958(昭和33)年度 470 497 967 -105 20 -2 [5]
1959(昭和34)年度 398 423 821 -146 18 -2 [6]
1960(昭和35)年度 423 447 870 +51 18 0 [7]
1961(昭和36)年度 504 517 1,021 +151 22 +4 [8]
1962(昭和37)年度 不明 1,118 +97 26 +4 [9]
1963(昭和38)年度 1,158 +40 25 -1 [10]
1964(昭和39)年度 971 -187 21 -4 [11]
1965(昭和40)年度 894 -77 21 0 [12]
1966(昭和41)年度 771 -121 19 -2 [13]
1967(昭和42)年度 852 +81 19 0 創立20周年 [14]
1968(昭和43)年度 817 -35 20 +1 [15]
1969(昭和44)年度 848 +31 20 0 [16]
1970(昭和45)年度 833 -15 19 -1 [17]
1971(昭和46)年度 869 +39 21 +2 [18]
1973(昭和48)年度 995 +126 25 +4 [19]
1974(昭和49)年度 984 -11 24 -1 [20]
1975(昭和50)年度 984 0 不明 [21]
1976(昭和51)年度 1,014 +30 28 [22]
1978(昭和53)年度 1,047 +33 不明 [23]
1979(昭和54)年度 1,015 -32 [24]
1980(昭和55)年度 1,021 +6 [25]
1981(昭和56)年度 1,066 +45 [26]
1982(昭和57)年度 1,140 -26 [27]
1983(昭和58)年度 1,145 +5 [28]
1984(昭和59)年度 1,155 +10 [29]
1998(平成10)年度 817 -338 22 [30]
1999(平成11)年度 734 -83 20 -2
2000(平成12)年度 737 +3 20 0
2001(平成13)年度 712 -25 19 -1
2002(平成14)年度 713 +1 19 0
2003(平成15)年度 319 346 665 -48 21 +2
2004(平成16)年度 321 315 636 -29 17 -4
2005(平成17)年度
2006(平成18)年度
2007(平成19)年度 創立60周年
2008(平成20)年度
2009(平成21)年度
2010(平成22)年度
2011(平成23)年度
2012(平成24)年度
2013(平成25)年度
2014(平成26)年度
2015(平成27)年度
2016(平成28)年度
2017(平成29)年度 創立70周年
2018(平成30)年度
2019(平成31/令和元)年度
2020(令和2)年度
2021(令和3)年度
2022(令和4)年度
2023(令和5)年度
2024(令和6)年度
2025(令和7)年度

関連項目

脚注

  1. ^ 山形県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 教育開発出版株式会社. 2018年11月12日閲覧。
  2. ^ 当時の生徒会長は「自由の裏には責任がある」との言葉で自由化を語った。元々学帽を着用する伝統を持っていた学校は、市内の中学校の中では二中しかなかった。
  3. ^ 日教組編集部 編『全国学校名鑑 昭和25年版』文化研究社、1950年6月1日、40頁。doi:10.11501/3033164 
  4. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑 昭和31年版』文化研究社、1956年5月25日、49頁。doi:10.11501/3032777 
  5. ^ 『全国学校総覧』東京教育研究所、1959年3月15日、262頁。doi:10.11501/3043681 
  6. ^ 『全国学校総覧 昭和35年版』東京教育研究所、1960年1月30日、262頁。doi:10.11501/3040991 
  7. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和36年版』文化研究社、1961年3月30日、52頁。doi:10.11501/3043685 
  8. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和37年版』文化研究社、1962年4月10日、52頁。doi:10.11501/3043687 
  9. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和38年版』文化研究社、1963年4月10日、54頁。doi:10.11501/3043688 
  10. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和39年版』文化研究社、1964年4月1日、54頁。doi:10.11501/3043689 
  11. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和40年版』文化研究社、1965年3月10日、54頁。doi:10.11501/3043690 
  12. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和41年版』文化研究社、54頁。doi:10.11501/3043691 
  13. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和42年版』文化研究社、1967年2月20日、54頁。doi:10.11501/3043692 
  14. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和43年版』文化研究社、1968年1月20日、54頁。doi:10.11501/3043693 
  15. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和44年版』文化研究社、1969年2月15日、54頁。doi:10.11501/9528544 
  16. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和45年版』文化研究社、1970年2月1日、54頁。doi:10.11501/9528545 
  17. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和46年版』文化研究社、53頁。doi:10.11501/12245606 
  18. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和47年版』文化研究社、1972年2月1日、53頁。doi:10.11501/12246676 
  19. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和49年版』文化研究社、1974年2月1日、53頁。doi:10.11501/12246885 
  20. ^ 福武書店 編『全国学校総覧 昭和50年版』福武書店、1974年10月1日、447頁。doi:10.11501/12244266 
  21. ^ 文化研究社 編『全国学校総覧 昭和51年版』文化研究社、300頁。doi:10.11501/12248213 
  22. ^ 『全国学校総覧 昭和52年版』福武書店、1976年10月10日、288頁。doi:10.11501/12242598 
  23. ^ 『全国学校総覧 昭和54年版』東京教育研究所、1978年11月25日、252頁。doi:10.11501/12250020 
  24. ^ 『全国学校総覧 昭和55年版』東京教育研究所、1979年11月15日、253頁。doi:10.11501/12251261 
  25. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校総覧 昭和56年版』文化研究社、253頁。doi:10.11501/12242279 
  26. ^ 『全国学校総覧 昭和57年版』東京教育研究所、1981年11月20日、254頁。doi:10.11501/12245750 
  27. ^ 『全国学校総覧 昭和58年版』東京教育研究所、1982年11月20日、259頁。doi:10.11501/12248946 
  28. ^ 『全国学校総覧 昭和59年版』東京教育研究所、1983年10月25日、264頁。doi:10.11501/12245198ISBN 4-562-01411-3 
  29. ^ 『全国学校名鑑 昭和60年版』東京教育研究所、1984年11月15日、260頁。doi:10.11501/12245199 
  30. ^ 「創立60周年記念誌」より

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