少年期から1970年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 18:45 UTC 版)
「イアン・ウォーレス」の記事における「少年期から1970年まで」の解説
グレーター・マンチェスターのベリー出身。学生時代に最初のバンド、ザ・ジャガーズを組みドラムを演奏し始めた。プロキャリアの出発は、1964年、地元の若者達のバンド「ザ・ウォリアーズ」へ加入したところまで遡る。このバンドには、後にイエスを結成するジョン・アンダーソンも、兄とともに在籍していた。ドラマーとしての腕を買われバンドに誘われたウォーレスだったが、当初その母が反対していた為、ザ・ウォリアーズの面々が実家に説得に行ったという。イギリスで一枚シングルを出した後、バンドはドイツに拠点を移し、ドイツやデンマークでライブ活動を行ったが、1967年末に解散。その後、解散前から共にステージで共演していたビッグサウンドというバンドからベースとドラムスが抜けたためベースのデヴィッド・フォスターと共に加入しスウェーデンやデンマークを巡業。1968年にロンドンへ戻るとThe Sleepyというバンド名義でシングル3枚分をレコーディングしたが、発売されたのは2枚だけであった。この時期セッション・ミュージシャンとしても、リトル・リチャード、サンディー・ショウ他多くのアーティストの欧州ツアーのバックでドラマーを務める。60年代末、ボンゾ・ドッグ・バンド解散直前のツアーに参加したことを契機に、メンバーのヴィヴィアン・スタンシャルの企画シングルに1970年春キース・ムーンらと参加。BBCのテレビやラジオ番組にも出演した。その縁から1970年夏、元ボンゾ・ドッグ・バンドのニール・イネスのバンド「ザ・ワールド」に、パーマネントなメンバーとして迎え入れられた。
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