少年―青年時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/25 03:06 UTC 版)
梅田良忠は日本橋槙町で弁護士、梅田貞次の長男として生まれた。生まれた時の名前は梅田芳穂であったが、これは彼の長男と同じ名前である。病弱のため、寺に預けられていたが、1907年6歳で得度、同年小学校に入学した。1913年曹洞宗第一中学林に、1918年曹洞宗大学林に進む。いずれも禅宗のエリート学校である。1922年学校を卒業した際、禅の「立身」という一段上の資格を得た際に良忠と改名した。卒業時、ドイツに留学すると出発したが、ポーランドに行った。その理由は、旅の途中でスタニスワフ・ミホフスキというポーランド人を知りあったのがきっかけとある。ポーランドに留まり、同年10月国立ワルシャワ大学哲学科に入学。初めは英語を使ったが、短期間にポーランド語を習得した。ジェリンスキイ教授のもとでギリシア・ラテン哲学を学んだ。当時はポーランド国内には日本人は8名しかいなかった。彼はポーランドに多くの友人を得て、また日本大使館(1937年10月までは公使館)では、文化関係の仕事の委託業務を引き受けていた。
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