小金井芦州とは? わかりやすく解説

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小金井芦州

(小金井芦州 (4代目) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/01 09:23 UTC 版)

小金井 芦州(こがねい ろしゅう)は、講釈師名跡。旧字体を小金井蘆州。

二代目

二代目 小金井 こがねい 芦州 ろしゅう
本名 小金井 亀之助
生年月日 1848年9月27日
没年月日 (1908-05-03) 1908年5月3日(59歳没)
師匠 初代田辺南龍
初代鏑井北梅
三代目宝井馬琴
所属 講談組合
備考
講談組合頭取(1886年 - ?)

二代目 小金井 芦州(1848年8月30日(嘉永元年8月2日)[2] - 1908年明治41年)5月3日[2])は、日本の講談師。本名:小金井 亀之助[2]

経歴

江戸浅草の武家の家に、浅草観音裏の本荘藩主の六郷氏邸内で生まれた[2]。父の不行跡により、幼くして母・兄弟と家を出る[2]。幼少期から両国の茶番などとして働き、「亀小僧」と呼ばれる[2]。のちに、席主が初代田辺南龍に弟子入りさせ、龍子と名乗る[2]。その後、田辺北州を名乗る[2]1857年の南龍死去に伴い、初代鏑井北梅の門下となり、小金井北州を名乗る[2]。1867年、初代北梅の遺言に基づき、初代宝井琴凌が後ろ盾となり、二代目小金井芦州を襲名した[2]1886年、講談組合の頭取を選任され永く勤めた[2]。弟子は一切受け付けなかったという[2]。墓所は台東区春慶院

芸風

得意ネタは「川中島」「日蓮記」などで、修羅場読みの名手であった[2]

三代目

三代目 小金井 こがねい 芦州 ろしゅう
本名 秋元 あきもと 格之助 かくのすけ
別名 間延び
馬面
生年月日 1873年7月9日
没年月日 (1925-07-10) 1925年7月10日(52歳没)
出身地 日本東京都神田
師匠 蓁々斎桃葉
二代目神田伯山
四代目宝井馬琴
名跡 1.蓁々亭葉生
(不詳)
2.神田伯鯉
(? - 1903年)
3.四代目神田伯龍
(1903年 - ?)
4.三代目西尾麟慶
(? - 1911年)
5.三代目小金井芦州
(1911年 - 1925年)
活動期間 ? - 1925年
活動内容 講談師

三代目 小金井 芦州1873年7月9日[3] - 1925年7月10日[3])は、日本の講談師。本名∶秋元 格之助[3]

経歴

東京麹町生まれ[3]。父は旧鳥羽藩士[3]

1891年4月、二代目宝井琴凌に入門する[3]蓁々斎桃葉に入門し、蓁々亭葉生を名乗った[3]ニ代目神田伯山門下に移り、神田伯鯉を名乗る[3]1903年四代目神田伯龍を襲名[3]。しかし、1905年に講談協会が正義派・同志会に分裂すると、四代目宝井馬琴を中心とする同志会に移り、これが二代目神田伯山の怒りを買い、伯龍を返上する[3]。この頃、三代目西尾麟慶を名乗る[3]

1908年、二代目芦洲が没すると、1911年5月に三代目小金井芦洲を襲名する[3]

人物

世話物を得意とし、三代目神田伯山、六代目一龍斎貞山とともに「講談界の三羽烏」と評された[3]

面長で「間延び」「馬面」と渾名された。大酒呑みで寄席をドタキャンするなどのトラブルやずぼら癖も多く、「ずぼらの師団長」の渾名もあった[3]

弟子

廃業

四代目

四代目 小金井 こがねい 芦州 ろしゅう
本名 松村 伝次郎
生年月日 1888年12月6日
没年月日 (1949-01-08) 1949年1月8日(60歳没)
師匠 三代目小金井芦州
名跡 1.神田龍子
(1905年 - )
2.西尾慶昇
3.西尾麟生
4.初代宝井馬秀
5.二代目西尾小麟慶
( - 1911年)
6.四代目西尾麟慶
(1911年 - 1949年)
7.四代目小金井芦州
(1936年 - 1949年)
活動期間 1905年 - 1949年
家族 三代目神田伯龍(父)

四代目 小金井 芦州1888年12月6日[4] - 1949年1月8日)は、日本の講談師。本名:松村 伝次郎

経歴

東京に、四代目神田伯龍の子どもとして生まれる[4]。1901年、二代目神田伯山に入門する[4]。神田伯鯉(のちに伯龍→三代目小金井芦洲)の内弟子となり、龍子を名乗る[4]。1903年1月26日、初高座[4]

1905年、講談協会の分裂にともない、師と行動を共にし、西尾慶昇を名乗る[4]1911年、四代目西尾麟慶を襲名する[4]1936年3月31日、四代目小金井芦州を襲名[4]

1949年1月8日、咽頭がんで没[4]

人物

「徳川天一坊」「貞女の仇討」「国定忠治」などを得意とした[4]。軽妙でテンポのよい読み口で、続き物のネタでも、他の演者の半分ほどの日数で読んでしまったという[4]。「名人」とも「いいところ読み」とも言われ、当時の評価は分かれた[4]

弟子

出典

  1. ^ 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、228-232頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、233-236頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、236-241頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 吉田修『東都講談師物語』中央公論事業出版、2017年6月、241-245頁。 

外部リンク




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