小林傭佶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 16:47 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です。 |
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
小林 傭佶(こばやし ようきち、1920年(大正9年)1月31日 - 1993年(平成5年)4月19日[1])は、日本の実業家・学校経営者。北海道古宇郡神恵内村生まれ。1942年(昭和17年)東京商科大学卒。「小林傭吉」「小林用吉」とも表記される。
来歴
三菱重工業勤務を経て、1946年(昭和21年)札幌文科専門学院教授。1949年(昭和24年)明和学園理事( - 1954年(昭和29年))。1950年(昭和25年)札幌短期大学商業科客員教授( - 1967年) 1957年(昭和32年)札幌日交タクシー社長。1959年(昭和34年)小樽日興交通社長。1960年(昭和35年)釧路日興交通社長。1961年(昭和36年)日交興業開発(後の小林企業)社長。1965年(昭和40年)明和学園理事( - 1993年(平成5年))。1967年(昭和42年)札幌短期大学学長。1979年(昭和54年)学校法人札幌学院大学副理事長。1986年(昭和61年)小林企業代表取締役会長。1987年(昭和62年)学校法人札幌学院大学理事長。1991年(平成3年)北海道中小企業団体中央会会長。
家族としては、子息に小林企業(後のケー・ケー)元社長、日本エス・イー元社長の小林英愛がいる。
エピソード
日本民主青年同盟の元メンバーで札幌文科学院(後の札幌学院大学)設立にも関わる
受賞歴
脚注
- ^ 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.254
参考文献
『北海道人物・人材情報リスト2004 な-わ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)
|
|
|
|
|
|
|
|
固有名詞の分類
- 小林傭佶のページへのリンク