小松寺砦跡とは? わかりやすく解説

八所社・熊野社合殿

(小松寺砦跡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/17 18:46 UTC 版)

八所社・熊野社合殿

八所社・熊野社合殿の鳥居
所在地 愛知県小牧市大字小松寺字法華山1119
位置 北緯35度18分40秒
東経136度56分51秒
主祭神 伊邪那岐尊
伊邪那美尊、他
創建 宝暦4年(1754年)頃
本殿の様式 流造
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八所社・熊野社合殿の本殿

八所社・熊野社合殿(はっしょしゃ・くまのしゃごうでん)は、愛知県小牧市にある八所神社熊野神社の合殿(神社)。境内には小松寺砦跡がある。小松寺が隣接する。

祭神

八所神社祭神
熊野神社祭神

小松寺砦跡

小松寺砦跡

小松寺砦跡(こまつじとりであと)または小松寺山砦跡(こまつじやまとりであと)は、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの折り、豊臣方が築いた砦跡である。羽柴信吉丹羽長秀[1]などが約8千の兵を率いて布陣した。砦は東西2つ設けられ、規模は東砦が十間四方、西砦が東西八間・南北十間あったとされている。

年表

所在地

愛知県小牧市大字小松寺字法華山1119

交通機関

脚注

  1. ^ 長秀でなく長秀の長男丹羽長重でないかとする説もある。

外部リンク


小松寺砦跡

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八所社・熊野社合殿」の記事における「小松寺砦跡」の解説

小松寺砦跡(こまつじとりであと)または小松寺山砦跡(こまつじやまとりであと)は、天正12年1584年)の小牧・長久手の戦い折り豊臣方築いた砦跡である。羽柴信吉丹羽長秀などが約8千の兵を率いて布陣した。砦は東西2つ設けられ規模は東砦が十間四方、西砦が東西八間南北十間あったとされている。

※この「小松寺砦跡」の解説は、「八所社・熊野社合殿」の解説の一部です。
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