小松寺_(小牧市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小松寺_(小牧市)の意味・解説 

小松寺 (小牧市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 08:47 UTC 版)


小松寺
本堂
所在地 愛知県小牧市小松寺3丁目15
位置 北緯35度18分39.94秒 東経136度56分49.91秒 / 北緯35.3110944度 東経136.9471972度 / 35.3110944; 136.9471972
山号 愛藤山
宗派 真言宗智山派
本尊 千手観世音菩薩
創建年 伝・天平勝宝年間(729年749年頃)
開基 伝・行基
別称 小松観音
札所等 小牧十観音1番札所、尾張西国三十三観音7番札所
文化財 本堂、絹本着色千手観音菩薩像、銅製釣灯籠
法人番号 7180005008444
テンプレートを表示
山門

小松寺(こまつじ)は、愛知県小牧市にある真言宗智山派寺院

概要

山号は愛藤山。小牧十観音第一番札所であり、かつ尾張西国三十三観音第七番札所でもある。八所社・熊野社合殿が隣接する。

歴史

創建は天平勝宝年間(8世紀中頃)。行基菩薩によってであると伝えられている。承安3年(1173年)に、一帯を荘園として所有していた平重盛が建物を改築。領地を与えたことから、彼の別称である「小松殿」(または「小松内大臣」)から取って、「小松寺」と称するようになった。しかし承久3年(1221年)に起こった承久の乱で寺院は焼失。以後約250年間に渡って廃寺となっていた。

再興されたのは文明年間15世紀後半)。全慶僧侶によってであると伝えられている。しかし天正12年(1584年)に起こった小牧・長久手の戦いで、小松寺周辺には豊臣方小松寺砦)が築づかれた。豊臣方は撤退する際寺にを付け、建物や宝物などが焼失。

その後文禄4年(1595年)に豊臣秀吉から領地を与えられ、再々度再建された。

その後元和7年(1621年)には、徳川義直から領地を与えられている。

年表

所蔵品・文化財

交通機関

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 小松寺本堂”. 小牧市. 2013年5月28日閲覧。
  2. ^ 小松寺”. 小牧市. 2013年5月28日閲覧。
  3. ^ 絹本着色千手観音菩薩像”. 小牧市. 2013年5月28日閲覧。
  4. ^ 銅製釣灯籠”. 小牧市. 2013年5月28日閲覧。

関連書籍

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小松寺_(小牧市)」の関連用語

小松寺_(小牧市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小松寺_(小牧市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小松寺 (小牧市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS