小徳の人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 13:20 UTC 版)
今に残る史料に見える小徳の人物は18人で、12階の中で最も多い。43年の施行期間には世代交代があろうし、地位が高いほど史書に記されやすいので全体の、また同時点での人数をここから推し量るのは難しい。しかし3人しか知られない大徳よりずっと多かっただろうし、1人の大将軍と7人の副将軍が小徳であった推古天皇31年(623年)には、それを上回る人数がいたわけである。 阿輩台(大河内糠手?)- 大業4年・推古天皇16年(608年)(隋書) 中臣国 - 推古天皇31年(623年)。群卿(マエツキミ)の一人。征新羅大将軍。(日本書紀) 河辺禰受 - 推古天皇31年。征新羅副将軍。(日本書紀) 物部依網乙等 - 推古天皇31年。征新羅副将軍。(日本書紀) 波多広庭 - 推古天皇31年。征新羅副将軍。(日本書紀) 近江脚身飯蓋 - - 推古天皇31年。征新羅副将軍。(日本書紀) 平群宇志 - 推古天皇31年。征新羅副将軍。(日本書紀) 大伴某 - 推古天皇31年。征新羅副将軍。(日本書紀) 大宅軍 - 推古天皇31年。征新羅副将軍。(日本書紀) 巨勢大海 - 推古朝(続日本紀) 平群神手 - 推古朝 (上宮聖徳太子伝補欠記) 秦川勝(秦河勝) - 推古朝(上宮聖徳太子伝補欠記、聖徳太子伝暦) 中臣御食子 (弥気) - 推古・舒明朝(中臣氏本系帳) 長徳 - 皇極天皇元年(642年)8月13日授。百済の質。達率。(日本書紀) 巨勢徳太 - 皇極天皇元年(642年)12月13日。(日本書紀) 粟田細目 - 皇極天皇元年(642年)12月13日。(日本書紀) 大伴馬飼 - 皇極天皇元年(642年)12月13日。(日本書紀) 高向黒麻呂(玄理) - 大化2年(646年)9月。遣新羅使。(日本書紀)
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