将軍のあだ名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 22:57 UTC 版)
公方は将軍の別称として広く使われるようになったため、時には何某公方というように、公方に揶揄や批判の意味をこめた語をつけたあだ名が庶民によってつけられて知られることもあった。 足利義稙の「流れ公方」有力大名に政権を追われて各地を転々としたことから。一族は阿波国に定着し、阿波公方となった。 徳川綱吉の「犬公方」生類憐れみの令を出して犬を手厚く保護し、そのために庶民の迷惑を招いたことから。 徳川吉宗の「米公方」その治世に豊作と飢饉が繰り返されて米価が大きく上下したので、その統制に追われたことから。 徳川家重の「小便公方」体質が生来虚弱で言語不明瞭であったことから、殿中で小便を漏らしたという噂があった。小便を漏らしたか否かについては不明であるが、江戸城から上野寛永寺へ出向く道中(数km)に23箇所も便所を設置させたとされ、少なくともこの時期、いわゆる頻尿であったことは確認できる。 徳川慶喜の「豚公方」豚肉を好んで食したことから。大政奉還の前後に詠まれた川柳に「江戸の豚、都の狆に追い出され」とあり、広く知られていたことが分かる。
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