将軍の子から外様の藩主へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 21:01 UTC 版)
「蜂須賀斉裕」の記事における「将軍の子から外様の藩主へ」の解説
文政4年(1821年)9月19日生まれ。文政10年(1827年)閏6月3日、徳島藩12代藩主・蜂須賀斉昌の養子となる。斉裕の父・家斉は「膃肭臍将軍」と皮肉られるほどの子沢山で、成長した男児は嫡男の家慶を除いてことごとく他藩に養子に出された。徳川将軍家の子だけあって養子先の多くは親藩の大藩だったが、やがてそれだけでは賄いきれなくなる。最終的には小藩にも実質的な持参金手形付き、つまり襲封時に大幅加増があることを内諾の上で養子に出す有様となった。 こうした中で斉裕は外様大名の徳島藩主蜂須賀斉昌の養嗣子に出された。徳島藩は阿波・淡路両国を治める大藩で、表高25万7千石は石高として申し分なかったが、外様であることに変わりはない。
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