対談に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:32 UTC 版)
「ジェフリー・ダーマー」の記事における「対談に至るまで」の解説
元FBI捜査官ロバート・K・レスラーは、ジェフリーとの対談を行っている。レスラーは、FBIを退職してから半年後の1991年1月に、ミルウォーキーへの招聘を受け、ウィスコンシン大学の後援で、プロファイリングと児童虐待についての講義を行った。レスラーの講義を受けた人物の1人で、ジェフリーの事件を捜査していた警察官が、レスラーの講義がジェフリーの事件についてとても参考になったという手紙をレスラーによこした。これが契機となり、レスラーはジェフリーの事件に関わるようになった。レスラーはジェフリーの犯した行為について、「精神異常」を理由にした情状酌量の余地があると見ていた。レスラーはジェフリーの裁判で弁護側の証人になることを決めた。ジェフリーの弁護士ジェラルド・P・ボイルが、マスコミおよび裁判関係者に向けてある答弁を発表した。当初は「心神喪失による無罪」を主張していたジェフリーが、「有罪だが心神喪失」という答弁に変更したという発表であった。ウィンスコンシン州の州法では、有罪だが心神喪失であると主張することが許されており、裁判の結果に関係なく、ジェフリーは何らかの監禁施設で一生を過ごさせる、というものであった。ボイルは、「ダーマーの精神状態」を裁判の争点とした。その精神状態を判断すべく、発表から一週間後に、2日をかけてジェフリーへのインタビューを行うこととなった。インタビューが組まれるに先立ち、レスラーはジェフリーの住居を見て、証拠物件を吟味した。ジェフリー個人に留まらない枠の中で、連続殺人犯の行動パターンを元に、ジェフリーを評価するためであったとしている。
※この「対談に至るまで」の解説は、「ジェフリー・ダーマー」の解説の一部です。
「対談に至るまで」を含む「ジェフリー・ダーマー」の記事については、「ジェフリー・ダーマー」の概要を参照ください。
- 対談に至るまでのページへのリンク