対外戦争による領土拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:14 UTC 版)
「イタリアの歴史」の記事における「対外戦争による領土拡大」の解説
続く数世紀の間、ローマは領土の拡張政策をとり始め、ウェイイの町やラテン人、サムニウム人の同盟を次々と打ち負かしていった。 ローマは戦争に勝利した後もたいていは敗者を完全に服従させようとはせず、ローマの優位性を受け入れさせ、ローマを構成する同盟国として扱った。この賢明なやり方がローマが拡大できた理由の一つとなっている。たとえば、トスカーナやカンパニアにあったエトルリア人やギリシャ人の弱小都市は、ローマに立ち向かって戦争するよりも、ローマの保護を求める方を選んでいる。 紀元前390年には、ガリア人として知られるケルト人によってローマは侵入され、略奪された。 紀元前280年から紀元前272年にかけて、ギリシャ人の都市タレントゥムとの戦いに勝利したローマはイタリア半島を実質的に統一した。そして、最も危険な敵であったフェニキア人の植民都市カルタゴ(現在のチュニス近く)と対決することとなった。 紀元前3世紀半ばからほぼ1世紀を通じて戦われた3度のポエニ戦争は、ローマの完全な勝利に終わった。第一次ポエニ戦争(紀元前264年-紀元前241年)と第二次ポエニ戦争(紀元前218年-紀元前202年)により、カルタゴはシチリア島、サルデーニャ島、コルシカ島、ヒスパニアの植民都市などほとんどの領土を失い、第三次ポエニ戦争(紀元前149年-紀元前146年)に敗北して都市は破壊された。 紀元前2世紀には、ローマは西地中海一帯のほとんどを支配するようになり、その影響力は急速に東方へと及び始めていた。紀元前1世紀、ローマはヘレニズムの流れを持ったアンティゴノス朝やセレウコス朝を滅ぼし、全地中海の覇者となった。
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