対外政策局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 13:00 UTC 版)
「国民社会主義ドイツ労働者党」の記事における「対外政策局」の解説
ナチ党の対外政策に関する部署は乱立しており、激しく対立していた。対外政策局(Außenpolitischen Amts der NSDAP))は対外政策全国指導者であるアルフレート・ローゼンベルクが統括していた。 外国のナチ党員を統括するナチ党国外組織(ドイツ語版)(独: Auslands-Organisation)は、大管区という扱いでもあった。大管区指導者は1931年からハンス・ニーラント(ドイツ語版)であり、1933年からエルンスト・ヴィルヘルム・ボーレが指導者となった。副指導者にアルフレート・ヘス(ドイツ語版)を迎え、その兄である総統代理ヘスを後ろ盾に外務省とも争った。 またヨアヒム・リッベントロップはリッベントロップ機関という組織を立ち上げ、外交での主導権を握ろうとしている。
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