対フランス戦争中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 05:49 UTC 版)
「ジェームズ・ハリス (初代マームズベリー伯爵)」の記事における「対フランス戦争中」の解説
オランダからイギリスに帰国した直後は小ピット政権に反対するようになり、フォックスや皇太子ジョージ4世と親しい関係になった。 しかしその後、再び小ピットと親しくなり、1793年にはフランス革命戦争の中で再びプロイセン公使に就任した。1794年4月19日にはハーグでプロイセン外相クリスティアン・フォン・ハウグウィッツ(ドイツ語版)伯爵との間に対フランス同盟を締結し、プロイセン軍に財政援助することを約した。プロイセンを対フランス戦から離脱させまいと尽力したが、その努力もむなしくプロイセンは徐々にイギリスとの同盟から離れ、1795年4月にはフランスと講和してしまった(1796年にはイギリスに宣戦布告)。 1796年にはフランス総裁政府との講和交渉のためにパリに派遣されたが、実を結ばなかった。1797年にも再び講和交渉のためリールに派遣されたが、その最中にフリュクティドール18日のクーデターで対英強硬派ジャコバン派が総裁政府の権力を握ったため、フランス側の要求が過大になり、交渉はまたも決裂した。 難聴のため1800年に公的生活から引退した。
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