寺社奉行から評定所への吟味先変更とは? わかりやすく解説

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寺社奉行から評定所への吟味先変更

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 18:17 UTC 版)

石徹白騒動」の記事における「寺社奉行から評定所への吟味先変更」の解説

宝暦8年7月21日1758年8月24日三度目箱訴によって受理され訴状は、まずこれまで同様、寺社奉行吟味を行うことになった。しかし今回寺社奉行交代しており、朽木玄綱吟味担当することになった箱訴当日久保田九郎助森清右衛門の2名に簡単な取調べなされた後、両名下谷町松屋源助方に宿預け言い渡された。続いて宝暦8年8月10日1758年9月11日)、寺社奉行朽木玄綱久保田九郎助森清右衛門両名呼び出して取調べ行った石徹白騒動裁判動き出した頃、もう一つ郡上藩継続していた大事件である郡上一揆裁判も、また大きな転機迎えていた。時の将軍徳川家重が、郡上一揆問題の背景には幕府要人関与があったのではないかとの疑い抱いたことが引き金となり、宝暦8年7月20日1758年8月23日)、老中酒井忠寄寺社奉行阿部正右ら5名を御詮議懸り任命して評定所郡上一揆吟味を行うこととなった。また吟味進行指揮担ったのは老中首座堀田正亮老中酒井忠寄将軍側近である側用取次田沼意次の3名であり、堀田田沼事件糾明積極論者であった考えられている。 宝暦8年8月22日1758年9月23日)、老中酒井忠寄石徹白騒動についても郡上一揆吟味同じく評定所が行うよう、御詮議懸りの5名に覚書交付した同日夕刻これまで石徹白騒動吟味担当してきた寺社奉行から評定所に、石徹白騒動に関する書類すべてが引き渡された。これによって郡上一揆石徹白騒動という郡上藩同時期に発生した大事件2件は、幕府評定所によって吟味なされることとなった

※この「寺社奉行から評定所への吟味先変更」の解説は、「石徹白騒動」の解説の一部です。
「寺社奉行から評定所への吟味先変更」を含む「石徹白騒動」の記事については、「石徹白騒動」の概要を参照ください。

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