寺社権門対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:52 UTC 版)
鎌倉幕府は当時絶大な宗教的権威と強固な経済力、金融運営力、武力、生産技術力を有していた有力寺社権門に対しては積極的に関わろうとはしなかったが、比叡山延暦寺と園城寺や石清水八幡宮が争った場合は園城寺や石清水を贔屓し、興福寺と東大寺が争った場合は東大寺を贔屓した。頼朝は南都復興の際、東大寺には手厚い寄進を行ったが、興福寺に対しては幕府も頼朝もほとんど協力していない。また頼朝が上洛した際、賀茂祭に参列してその後『吾妻鏡』に賀茂社の記事は散見されるが、比叡山の末社である祇園社の祭礼である祇園会については『吾妻鏡』は記載していない。
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