審査経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/12 22:42 UTC 版)
満州事変当時、フォード製などの輸入車を主力トラックとして運用していた陸軍は、新たに国産の六輪自動貨車を制定することとした。それまでの研究の結果から重量軽減と補給の容易さが求められた。1933年(昭和8年)、陸軍自動車学校にて研究に着手した。 同年3月、民間の自動車企業から軍用自動車として適切なものを採用し、これに満州事変での部隊運用の結果を加味し、6月に第一回試作を行った。ベースとなった車輛は、自動車工業株式会社(現:いすゞ自動車)および東京瓦斯電気工業株式会社の「ちよだ」「スミダ」六輪自動貨車である。当初の試験結果はおおむね良好であり、逐次改良を加えながらさらに試験をかさねた。7月には北満州で雨季炎熱試験、11月には御殿場で修正試験、翌1934年(昭和9年)1月に北満州で冬季試験、同月に長野付近で寒地試験、6月に台湾にて熱地試験、7月には再度北満州で炎熱試験を行った。性能上必要な改修を重ねた本車は陸軍自動車学校での研究を終えた。 同年11月、「陸普第六九二二号」により審査を開始した。性能自体はおおむね良好であった。しかし、車輛の製造は前述した二社で行われていたが、図面に共通性がなく部品の互換性に乏しかった。また部隊での試験結果は各部の耐久力に弱い点があり、また機能も不満足の点が散見されるというものであった。このような欠点から、車輛製作の原図を作成し、陸軍技術本部は試験を重ねながら部品に改修を加えて実用性を高め、付属品と予備品についても改正を加えて審査を終了した。仮制式制定の上申は1937年(昭和12年)2月である。
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