寒田神社とは? わかりやすく解説

寒田神社

読み方:サムタジンジャ(samutajinja)

教団 神社本庁

所在 神奈川県足柄上郡松田町

祭神 倭建命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

寒田神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/24 13:35 UTC 版)

寒田神社

拝殿
所在地 神奈川県足柄上郡松田町松田惣領1767
位置 北緯35度20分45秒 東経139度8分1秒 / 北緯35.34583度 東経139.13361度 / 35.34583; 139.13361
主祭神 倭建命
弟橘比売命
菅原道真
誉田別命
社格 式内社(小)、県社旧社格
創建 仁徳天皇3年(315年)
例祭 7月31日
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寒田神社(さむたじんじゃ)は、神奈川県足柄上郡松田町松田惣領に鎮座する神社延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に記載されている相模国延喜式内社十三社の内の一社(小社)とされる。また、境内は酒匂川に面している。

祭神

歴史

仁徳天皇の時代の創建。古風土記に記述がある。かつては相模田神社・佐武多神社・佐牟太神社などと称した。延喜式神名帳には「相模國足上郡 寒田神社 小」として記載されている。江戸時代には寒田神社神田大明神[注釈 1]とも称した。

社伝では倭建命東征の折、しばらくこの地に滞在されたとされる。この地で東征の幸先を祈願した際、酒匂川に酒を流し、東征後この地に戻ってきた際にまだ酒の香りが残っていたため酒匂川と名付けられたと伝えられる。このときの椀とされている木椀が神社に伝えられている。

1626年寛永3年)徳川家光より朱印地を寄進されるが、1656年承応3年)酒匂川の氾濫により社殿等流出。1868年慶応4年)に再建された。1874年明治7年)に郷社1941年昭和16年)には県社に列せられる。その後、1968年昭和43年)に神奈川県神社庁による献幣使参向神社となっている他、1971年昭和46年)には松田町より史跡として指定されている。

祭儀

  • 例大祭(7月31日)
    • 御輿の行列は1971年(昭和46年)松田町無形文化財と指定される。
    • かつては毎年6月晦日に例祭を行っていた。

境内

境内社

  • 稲荷社
  • 祖霊社
  • 熊野社、神明社、天社神

文化財

  • 寒田神社のカシ - かながわの名木100選

その他

アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 新編相模国風土記稿』には神田明神社と記されている[1]

出典

参考文献

関連項目

外部リンク




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