富田砕花
富田砕花
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 06:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動富田 砕花(とみた さいか、1890年11月15日 - 1984年10月17日)は、日本の詩人、歌人。
略歴
岩手県盛岡市生まれ。本名・戒治郎。日本大学殖民科卒業。石川啄木の影響をうけ歌人として出発したが、1915年、最初の詩集『末日頌』を上梓、大正詩壇における民衆詩派の詩人として活躍した。のち兵庫県芦屋市に住み、戦前の全国中等学校野球大会や日本体操大会の行進歌や大会歌を作詞したほか、全国の小、中、高校の校歌を多数作詞している。ホイットマンやエドワード・カーペンターを日本に紹介した。彼の紹介したアメリカ・デモクラシーの詩人たちの思想に金子光晴が影響を受け、「耽美主義的、エゴイスチックな女性観が粉砕された」と金子は回想している[1]。
著作
- 悲しき愛 歌集 岡村盛花堂, 1912
- 末日頌 1915
- 地の子 私家版 1919
- 草の葉 ウオールト・ホヰツトマン 大鐙閣, 1919-20
- 新版:朝日新聞社, 1949、グラフ社, 1971、第三文明社、1990、新版2018
- カアペンタア詩集 新潮社, 1920
- 富田砕花詩集 新潮社, 1921
- 時代の手 大鐙閣, 1922
- 解放の芸術 大鐙閣, 1922
- 登高行 更生閣, 1924
- 手招く者 同人社, 1926
- 歌風土記 兵庫県 神戸新聞社, 1950
- ひこばえのうた ひこばえのうた刊行会, 1970
- 兵庫讃歌 兵庫讃歌刊行会, 1971
- 視差錯落 視差錯落刊行会, 1975
- 属目散趣 遺歌集 富田砕花遺歌集刊行会, 1985.10
- 富田砕花全詩集 富田砕花先生全詩集刊行会, 1988
脚注
- ^ 金子光晴『詩人 金子光晴自伝』講談社文芸文庫、1994年、81p。
顕彰施設
関連項目
外部リンク
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