富士スピードウェイ廃止騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:53 UTC 版)
「日本青年会議所」の記事における「富士スピードウェイ廃止騒動」の解説
1979年7月、(社)御殿場青年会議所(静岡、御殿場JC)が周辺道路の渋滞、富士グランチャンピオンレース観戦の暴走族が周辺で集会や暴走行為を繰り返す環境の悪化による青少年への影響、省エネルギー時代にそぐわないことを理由に富士スピードウェイの廃止、転用を静岡県に陳情した。これや1983年(昭和58年)に富士GCで起きた高橋徹の死亡事故により、サーキットを廃止しゴルフ場などのレジャーランドへの転用が発表される事態となった。 モータースポーツ業界は「日本モータースポーツ振興会」を設置し、廃止に反対の立場を表明したが、1984年再び廃止転用の動きが表面化し、1985年スピードウェイの親会社である三菱地所がサーキットの廃止について言及する。 レース業界は更に「FISCO廃止問題連絡協議会」を設置し、大御神レース村ガレージや富士GC選手会も参加し、一般レースファンへのPR活動などを活発に行い、激しく反対運動を展開した。漫画家のしげの秀一も『バリバリ伝説』(『週刊少年マガジン』)のタイトル頁で、主人公巨摩郡が「FISCOなくなったら困るぜ!みんなで反対しよう!」と呼びかけるかたちで反対運動に賛同した。1986年1月、地権者である富士スピードウェイ協力委員会が反対の意を示し、連絡協議会主催により東京でシンポジウムが開催され、神田から丸の内の三菱地所まで東京都内をデモ行進した。同年6月、小山町長に三菱地所から廃止問題についての地権者との調停依頼があり、同年7月30日、廃止問題は白紙とする旨の小山町長の裁定が下され、存続が決定し廃止騒動は収束した。
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