家族の歴史と教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:23 UTC 版)
「ソロモン・ノーサップ」の記事における「家族の歴史と教育」の解説
父ミンタス(英: Mintus)は、若い頃ノーサップ家に仕えて奴隷として働いていた解放奴隷だった。ミンタスはロードアイランド州に生まれ、その後ノーサップ家の引っ越しに合わせレンセリア郡フージック(英語版)に移り住んだ。ミンタスの主人だったヘンリー・ノーサップ(英: Capt. Henry Northup)はスティーヴン・ノーサップ(英語版)の曾孫に当たり[要出典]、彼の遺志としてミンタスを解放した (Manumission) 。ヘンリー・ノーサップに解放された後、ミンタスは自分の名字として「ノーサップ」姓を引き継いだ。この名字は、記録によってノーサップ (Northup) 、ノースラップ (Northrup) などと綴られている。 ミンタス・ノーサップは、主人の死によって解放奴隷となった直後に、自由有色人種 (Free people of color) だった妻と、ニューヨーク州エセックス郡ミネルヴァ(英語版)へと転居した。ふたりの間には兄ジョゼフとソロモンの2人の息子が生まれ、母親の身分に子どもが従うという原則 "Partus sequitur ventrem" (en) に従って自由黒人となった。ソロモンは母について、アフリカ系アメリカ人の血を4分の1、ヨーロッパ系の血を4分の3引くことを意味する「クワドルーン(英語版)」だと述べている。父ミンタスは農家として土地を所有できるほどに成功し、州の土地所有要件(英: the property requirement)を満たすことになった。州法は1821年に見直され、黒人の土地所有要件は維持されたものの、白人男性向けのものより緩和されていたので、彼らの公民権を拡大することに繋がった。当時選挙権登録には州政府に税金を納める必要があったが、ミンタスはこの要件を満たすために十分な金額を用意し選挙人登録を行った(解放奴隷だったことを考えると特筆すべきことである)。彼はまた、2人の息子に対して、当時の自由黒人としては高水準と考えられる教育を行った。少年時代、ソロモン・ジョゼフ兄弟は家族の農園で働いた。ミンタス・ノーサップ夫妻は最終的にフォート・エドワード(英語版)で暮らし、ミンタスは1829年11月22日に亡くなって、ハドスン・フォールズ(英語版)のベイカー墓地(英: Baker Cemetery)に葬られた。
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